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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)6273号 判決

原告

三起機械株式会社(東大阪市川俣)

被告

勝田力(東京都板橋区栄町)

主文

一、被告は、原告に対し、金50万円、及び内金20万円に対する平成2年4月17日から、内金20万円に対する平成2年8月4日から、内金10万円に対する平成2年12月31日から各支払済まで年5分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを3分し、その1を被告の、その余を原告の負担とする。

四、この判決の1項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金500万円及びこれに対する昭和60年7月11日から支払済まで年5分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告が原告を特許権侵害の被疑者として告訴し、原告に対し提起中の特許権侵害差止等請求事件を続行するなどしたことが、原告に対する不法行為を構成すると主張して、損害及び遅延損害金の支払を求める事案である(なお、本事件及び本事件が併合して審理されていた間の東京地方裁判所昭和60年(ワ)第9931号特許侵害差止等請求事件の訴訟手続は、本件記録上明らかである。)

一、被告の有していた特許権及びその特許無効の確定

1. 被告の有していた特許権

被告は、次の特許権を有していた。

登録番号 第1268414号

発明の名称 シール、ラベル等の印刷装置

2. 出願前公知資料の存在

本件特許出願前に、昭和48年第94983号公開特許公報(以下「甲一公報」という)が頒布されていた。

3. 無効審決及びその確定

原告は、昭和60年10月30日、本件特許の無効審判を請求し(昭和60年審判第21338号)、昭和62年7月9日、特許庁において、本件発明は甲一公報に記載された発明と同一であると認定されて、本件特許を無効とする旨の審決がされた。被告は、右審決の取消請求訴訟を東京高等裁判所に提起した(東京高等裁判所昭和62年(行ケ)第154号)が、平成1年8月30日に請求棄却の判決が言い渡され、被告は更に上告した(最高裁判所平成1年(行ツ)第156号事件)が、平成2年4月17日に上告棄却の判決が言い渡され、その結果、右無効審決が確定したので、本件特許権は特許法125条により初めから存在しなかったものとみなされる。

二、原告の販売していた印刷装置

原告は、別紙イ号図面の説明書及びイ号図面記載のシール、ラベル等の印刷装置(以下、「イ号装置」という。)を販売していた。

三、争点

1. 原告主張の不法行為の成否

(原告の主張)

原告が昭和60年10月29日特許庁へ提出した右無効審判請求書には、本件特許出願前に甲一公報が頒布されていたから本件発明には新規性がなく本件特許は無効である旨の記載があり、また、被告が原告他7名を被告として東京地方裁判所に提起した訴訟(同裁判所昭和60年(ワ)第9931号特許権侵害差止請求事件。以下「侵害訴訟」という。)において原告が昭和60年11月7日同裁判所へ提出した答弁書には、甲一公報を添付して、本件発明は甲一公報により全部公知であり、その技術的範囲は実施例に限定されるべきである旨記載しており、被告は、そのころ右各書面を受領したから、その受領時点で、本件特許が無効かどうか、本件発明が全部公知かどうかについて調査する義務があり、これを調査していれば、本件発明が全部公知を理由に無効審決を受けるべきものであること、従って本件特許権を原告に対して主張することを差し控えるべき立場にあることを知ることができたのに、右調査義務を尽くさず、同年10月29日ころ以降、次の各行為を行った。これらいずれの行為も原告に対する不法行為を構成する。

(a) 昭和61年3月ころ、大阪府警察本部布施警察署に原告が本件特許権を侵害した旨申告して告訴した。

(b) 昭和61年7月10日に、警視庁板橋警察署に原告が本件特許権を侵害した旨申告して告訴した。

(c) 右特許無効審判請求事件(昭和60年審判第21338号)において、原告の主張する特許無効の事由を争った。

(d) 右審判事件審決の取消請求訴訟(昭和62年(行ケ)第154号)を提起し、同事件判決に対し上告し(平成1年(行ツ)第156号)、更に同事件判決に対し再審の訴え(平成2年(行ナ)第31号)を申し立てた。

(e) 本件特許権侵害を理由とする侵害訴訟を維持した。

(f) 同事件判決に対し控訴し(平成2年(ネ)第2787号特許権侵害差止等請求控訴事件)、更に同事件判決に対し上告した(平成3年(オ)第431号)。

2. 被告が賠償すべき損害額

(原告の主張)

被告の(a)及び(b)の行為により、原告代表者が取調べのため警察署に出頭を求められ、原告がその出頭・宿泊費及び弁護士費用((a)の分)の出損を余儀無くされたうえ、取調べによる原告代表者の心労によって原告が多大な無形損害を被った。また、被告の(c)ないし(f)の行為により、原告が弁護士費用及び訴訟費用の出損を余儀なくされた。右被告の不法行為により原告が被った損害の合計額は500万円を下らない。

第三争点に対する判断

一、争点1(不法行為の成否)について

1. 紛争の概略

(一)  被告代理人井上清子弁理士及び同亀川義示弁理士は、昭和60年4月20日ころ、原告に対し、「御通知」と題する内容証明郵便を送付して、原告が製造販売するロータリーラベル印刷機「SP250A」及び「SKP250A」はいずれも本件発明の技術的範囲に属すると認められるので、当該装置の製造、販売の即時停止等の履行を請求する所存であるが、原告の意向によっては円満に解決したいので、意向を連絡するよう求めた。右印刷機はいずれもイ号装置に該当するものであった。これに対して、原告代表者は、右印刷機は、昭和50年ころから原告代表者と訴外村田鉄工が共同開発して昭和51年には展示会に出品したものであり、また、昭和52年ころ村田鉄工から全面的に権利を譲り受けているから、製造販売しても問題はないと考えたものの、技術部長と検討の結果、それが基本的には本件発明と同様の機構であると判断したことから、原告との紛争を避けるためやむをえず、実施許諾契約を結ぶ方向で、右井上弁理士と交渉し、同弁理士が提案した契約案を了解する旨返答したが、被告がその契約案に納得しなかったために契約締結に至らなかった。

被告は、改めて、寺島健造弁護士、伊藤喬紳弁護士及び平井信弁理士に原告との本件特許権の実施許諾契約締結の交渉を委任し、寺島弁護士は、同年5月25日ころ、原告に対し、右とほぼ同趣旨の内容証明郵便を送付した。原告代理人安田敏雄弁理士は、同年6月3日ころ、寺島弁護士に対し、「貴警告に係る製品は、貴出願前に全部公知である。又、弊社製品は貴出願前より公然と実施しており現在も実施中である。この間の事実は何等かの形でもって追って通知する所存である。なお、貴出願は現在特許権設定登録中であり、閲覧不可能なため、当該書類入手次第詳細な回答を行う所存である。」と内容証明郵便で回答した。被告はそのころ右代理人を介して右回答内容を認識したと推認される。

寺島弁護士は、同月5日ころ、原告代理人安田弁理士宛に内容証明郵便を送付し、原告製品のユーザーに対して使用差止等を求める訴訟を提起する予定であり、至急具体的解決案を提示するなり文書をもって回答するよう求め、更に同月12日ころ、同弁理士宛に内容証明郵便を送付し、「貴社ユーザーに迷惑と損害をかけることになってもそれは貴社の不誠実な態度が招来したもので、結局最終責任は貴社にあり、その結果は自業自得のものと覚悟されたい。貴回答の出願前全部公知・公然実施の虚構性は全面的に打破できる証拠資料入手済である事、……念の為付記しておく」と主張した。

同弁護士は、昭和60年7月11日ころにも、原告に内容証明郵便を送付し、再度和解的解決を検討するように求めた。

(二)  原告は、同年7月5日、被告に対し、本件訴えを当裁判所に提起した。訴提起時の請求は、本件発明は、特許請求の範囲に技術的構成を記載しておらず、かつその出願前に原告がイ号装置を販売したことにより全部公知であり、その技術的範囲は明細書の実施例及び図面に記載された具体的な技術にのみ限定して最狭義に解されなければならず、原告のイ号装置は、明細書及び図面に記載されたものとは随所において相違するから、本件発明の技術的範囲に属しないことを理由に、被告に対し、①本件発明に係る仮保護の権利に基づきイ号装置の製造販売の差止めを求める権利を有しないことの確認、②同装置が同権利を侵害する旨の陳述流布の禁止及び③500万円の損害賠償を求めるものであったが、その後本件特許権の設定登録がされたことが明らかになったことに伴い、昭和60年8月21日の第1回口頭弁論期日において陳述された訴状及び訴状訂正申立書では、前二者の請求を①本件特許権に基づきイ号装置の製造販売の差止めを求める権利を有しないことの確認及び②同装置が同権利を侵害する旨の陳述流布の禁止に訂正されていた。なお、本事件は、被告の申立に基づき、昭和60年11月1日、東京地方裁判所に移送され、同裁判所昭和60年(ワ)第13562号事件となり、昭和61年1月20日の口頭弁論期日において、後記の侵害訴訟に併合され、平成2年6月22日の口頭弁論期日において、本事件が分離された後、本事件は原告の申立に基づき当裁判所に移送された。

(三)  被告は、昭和60年7月30日ころ、大阪府警察本部布施警察署に告訴状を提出して、原告が本件発明の技術的範囲に属するシール、ラベル等の印刷機を製造販売して本件特許権を侵害した旨申告し、その訴追を求めた。

原告代表者は、昭和61年3月10日ころ、布施警察署から電話による呼出しを受け、同月20日村林隆一弁護士及び弁理士1名と同道して同警察署に出頭し、同弁護士が同警察署担当課長に対し、本件発明の特許請求の範囲には、技術的構成が記載されておらず、単なる機能が記載されているにすぎないから、本件発明は、その明細書及び図面に開示された限度でのみ技術的範囲を有するものであり、かつ、本件発明は出願前に全部公知であり、その技術的範囲は明細書の実施例及び図面に記載された具体的な技術にのみ限定して最狭義に解されるべきものであり、原告のイ号装置は、明細書及び図面に記載されたものとは随所において相違しているから、本件発明の技術的範囲に属しない旨説明した。

(四)  被告は、昭和60年8月21日、寺島健造弁護士及び伊藤喬紳弁護士を訴訟代理人、平井信弁理士を輔佐人として、原告に対し、本件特許権に基づき、イ号装置中の、平刃カッター装置、押さえ装置及びそれらの駆動機構部分の製造、販売及び販売のための展示の差止め、右部分用部品及びそれら部品を以って組み立て中で完成途次にあるものの廃棄並びに1056万円の損害賠償(原告がイ号装置販売により得る利益1台当たり96万円×販売台数11台)を、また、原告から右装置を購入して使用する7社に対し、右機構部分の使用の差止め及び除却をそれぞれ求める訴訟を東京地方裁判所に提起した。

これに対し、原告は、村林隆一弁護士に同事件の訴訟委任をし、原告を代理する同弁護士は、同年11月7日ころ、答弁書を提出して陳述し、本件発明の構成要件は甲一公報に全て開示されており、出願時に全部公知であったから、その技術的範囲は、明細書の実施例の記載及び図面の記載に基づき最狭義のものに限定されると解しなければならず、そのように解すると、原告が製造販売するイ号装置は本件発明と種々の点で相違するなどと主張し、かつ甲一公報などを提出した。被告は、そのころ、訴訟代理人を介して、右答弁書の内容並びに甲一公報の存在及び内容を認識したものと推認される。

同事件の審理は、原告が製造販売しているイ号装置の構造の説明の特定、本件発明の特許請求の範囲の記載中に技術的構成が記載されているか否か及び本件発明が全部公知か否かを主な争点として進行し(なお、昭和61年1月20日から平成2年6月22日までの間は、同事件に本事件が併合して審理された)、その間、原告訴訟代理人は、昭和61年6月25日の第6回口頭弁論期日に、本件発明の構成と甲一公報に記載された発明を具体的に対比して、両発明が同一である旨主張した。被告はそのころ訴訟代理人を介して右主張の内容を認識したと推認される。

侵害訴訟は、同年8月25日の第7回口頭弁論期日に和解勧告がなされたが昭和62年9月9日の和解期日に和解打切りとなり、同年12月9日の第9回口頭弁論期日において、訴訟手続を後記無効審決の確定に至るまで中止する旨決定され、審決確定後の平成2年6月22日の第10回口頭弁論期日において弁論が終結された。なお、その間、被告は、昭和62年1月21日に右訴訟代理人及び輔佐人を解任し、同年5月に福森久夫弁理士を輔佐人に選任したが同年夏ころ同輔佐人も解任し、それ以後は、被告が自ら単独で訴訟行為を行った。

(五)  原告は、昭和60年10月30日、安田敏雄弁理士を代理人として本件特許の無効審判(昭和60年審判第21338号)を請求し、本件発明は、本件特許出願前に日本国内において頒布された甲一公報に記載された発明と実質的に同一であり、かつ同公報及び他の本件特許出願前に日本国内において頒布された特許公報に基づき容易に想到し得たものであるから、特許法29条1項3号又は同条2項に該当し、同法123条1項1号により、本件特許は無効とされるべきものである旨主張し、同無効審判請求書は、そのころ、被告に送付された。

(六)  布施警察署防犯捜査係は、同年3月31日ころ、被告に告訴状を返却した。被告は、同年7月10日、警視庁板橋警察署に告訴状を提出して、原告が本件発明の技術的範囲に属するシール、ラベル等の印刷機を製造販売して本件特許権を侵害した旨申告し、その訴追を求めた。

原告代表者は、昭和62年1月末ころ、板橋警察署から呼出しを受け、昭和62年2月8日、宮地博技術部長を同行して同署に出頭し、2人の警察官から取調べを受け、翌9日及び同月19日にも、原告代表者1人が出頭して取調べを受けた。原告代表者は取調べを受けて逮捕されるのではないかとの不安を抱き、心労した。原告代表者は、昭和63年1月にも、板橋警察署から再び呼出しを受け、2月3日に同署に出頭して取調べを受けた。原告は、右各出頭のための交通費及び宿泊費を出損した。

(七)  昭和62年7月9日、特許庁において、本件発明は甲一公報に記載された発明と同一であると認定されて、本件特許を無効とする旨の審決がなされた。

被告は、東京高等裁判所に右審決取消請求訴訟(昭和62年(行ケ)第154号)を提起し、甲一公報には本件発明の各構成は開示されておらず、原告は、甲一公報には、本件発明の各構成の全ての手段が具備されていないことを既に認めている旨主張するとともに、「審判長は正法に基づいた審判官を解任、そして新審判官を任命、そして、被告(本件原告)の本件無効審判請求の構成要件を削除、更に、訂正などの請求の主張の違法を認めて、その違法に基づいて判例も無視、更に特許法70条も無視、そして構成要件を誤記に基づいて判断、更に請求の範囲に記載されない事項を要件として付加、更に構成要件を除外、そして、その違法に基づいて判断、認定した本件審決は、その認定判断を誤り、違法である事実が明白であるから、取消を求める。」旨の主張をした。原告は、同事件の訴訟行為の代理を前記安田弁理士他2名の弁理士に委任して応訴し、請求棄却を求めた。

東京高等裁判所は、平成1年8月30日、右事件について、本件発明の各構成が甲一公報に記載されているとした本件審決の認定判断に誤りはなく、右審決の違法をいう点は、本件審決の掲げる理由に対応した具体的主張ではないから、右主張の事実をもって本件審決が違法であるとするに由ない、旨判示して、請求棄却の判決を言い渡した。

被告は、右判決に対し、上告し(最高裁判所平成1年(行ツ)第156号事件)、別紙「最高裁判所平成1年(行ツ)第156号事件における上告理由」のとおり主張した。

最高裁判所は、平成2年4月17日、右事件について、「所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。」と判示して、上告棄却の判決を言い渡し、前記審決が確定した。

被告は、右判決に対し再審の訴え(平成2年(行ナ)第31号)を申し立て、最高裁判所は、平成2年7月3日、「本件再審の訴えは、前文記載の判決に民訴法420条1項各号に該当する事由のあることを主張するものとは認められないから、不適当である」として、訴え却下の判決を言い渡した。

(八)  東京地方裁判所は、平成2年7月30日、侵害訴訟について、無効審決が確定したことにより、本件特許権は初めから存在しなかったものとみなされる旨判示して、請求棄却の判決を言い渡した。

被告は、平成2年8月4日右判決に対し東京高等裁判所に控訴し(同裁判所平成2年(ネ)第2787号特許侵害差止等請求控訴事件)、新たに「本件特許権は復原したものである。」と主張した。原告は、同事件の訴訟行為の代理を前記村林弁護士他9名の弁護士に委任して応訴し、控訴棄却を求めた。

東京高等裁判所は、平成2年12月17日、右事件について、「当裁判所も、控訴人の本訴請求は、失当として棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、次に付加するほかは、原判決認定説示のとおりであるので、これを引用する。控訴人は、本件特許権は復原したものである旨主張するが、……本件特許権については無効審決が確定しており、本件特許権が復元したとする控訴人の主張を認めるに足りる証拠はない。」と判示して、控訴棄却の判決を言い渡した。

被告は、遅くとも平成2年12月31日までに、右判決に対し上告し(平成3年(オ)第431号事件)、別紙「平成3年(オ)第431号事件における被告の上告理由」記載のとおり上告理由を主張した。原告は、同事件の訴訟行為の代理を前記村林弁護士他9名の弁護士に委任して応訴した。

最高裁判所は、平成3年6月18日、右事件について、「上告人の上告理由はすべて、原判決について具体的な瑕疵の存在を主張するものではないから、上告適法の理由とならず、採用の限りでない。」と判示して、上告棄却の判決を言い渡した。

2. 高速度でシール、ラベル等を印刷する場合、印刷材料を送りながら輪転印刷を行うことが本件発明の出願前に周知の技術的事項であったこと(特公昭49-35037号公報)を考慮すると、本件発明の構成は全て甲一公報に記載されており、本件発明は甲一公報に記載された発明と同一であり、本件特許には無効理由が存していたと認められる。

3. (a)及び(b)の告訴行為が不法行為を構成するか

(一)  原告は、本件特許権は無効のものであるから被告の各告訴は違法な行為である、また、被告には、本件特許が無効かどうか、本件発明が全部公知であるかどうかについて調査する義務があり、これをしないで漫然と原告が本件特許権を侵害した旨の告訴に及んだ過失があり、不法行為が成立する旨主張する。

告訴によって、告訴者により犯罪を犯したと指摘された者は捜査の対象となり、捜査、公判の過程において私生活の平穏を害され、人権侵害や人格的、財産的な不利益を受ける危険があるから、特定人を犯罪者として捜査機関に申告するについては慎重な注意を払わなければならないことは明らかである。

しかしながら、告訴は、捜査の端緒となるとともに、親告罪においては訴訟条件ともなるものであって、刑事手続において重要な意義を有するものであること、告訴そのものは直ちに他人の権利を侵害する行為ではないこと、また、告訴者には犯罪の確証を挙げるために捜査する義務もないこと、更に、特に、特許権侵害罪で無効事由の有無が問題になる事案の告訴に関しては、無効審判や審決取消訴訟において特許に無効事由があると判断される可能性があるからといって無効審判の帰趨をみていては、その間に証拠が散逸するおそれが高いうえ、親告罪の告訴期間を経過してしまい、結局無効とならなかった場合でも告訴する余地がなくなってしまうおそれがあることを考慮すると、特許権侵害について犯人を指摘して告訴した場合に、後にその者の行為が犯罪を構成しないことが判明すれば、当該告訴が常に違法性のある行為と認められ、過失があれば不法行為が成立するというべきではない。そのような場合においても、告訴者においてその者の行為が犯罪を構成しないことを知りながら、又はその者の行為が社会通念上犯罪に該当すると疑うに足りる相当な理由・根拠がないのにあえて告訴したなど、告訴制度の趣旨目的に照らして相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となると解される。

(二)  これを本件についてみると、前記認定のとおり、被告は、布施警察署に告訴した時点では、被告代理人からの警告に対する原告代理人からの「貴警告に係る製品は、貴出願前に全部公知である。」との回答内容及び本事件訴状記載の主張を認識していたし、更に板橋警察署に告訴した時点では、前記特許無効審判請求書や侵害訴訟の答弁書の内容を認識し、原告の甲一公報による全部公知の主張を知り、かつ甲一公報の内容を認識し、更に本件発明の構成と甲一公報に記載された発明との対比に関する原告の具体的主張も認識していた。しかも、本件特許は右行為の後に無効審決が確定したことにより初めから存在しなかったものとみなされることは前示のとおりである。

(三)  しかしながら、他方で、次の事情が存在する。

(1) 特許権が初めから存在しなかったものとみなされる効果は法律による擬制であって、被告が各告訴を行った時点では、本件特許は有効なものとして存在しており、しかも無効審決もされていなかった。

(2) 本件明細書の特許請求の範囲第1項の記載は、

A 印刷材料を伸張状態で連続的に同一進行方向に送る手段と、

B 該印刷材料にシール、ラベル等のシール素片を連続的に所定間隔で印刷する輪転印刷手段と、

C 該印刷材料に印刷したシール素片の形状、印刷位置に対応しかつ該シール素片に面接触する平板状の切刃を有するカッター手段と、

D 上記印刷材料を挟んで該カッター手段と対向する押え手段と、

E 該印刷材料が伸張状態で進行しているときシール素片と切刃を対向させ切刃加工を行うよう上記カッター手段を印刷材料の進行と同期的に前進させると共に切刃と押え手段の間に印刷材料を挟着し切刃加工後切刃部を開放させるよう移動させる手段

F を具備させたシール、ラベル等の印刷装置。と分説するのが相当であり、右のうちCの構成中の「面接触」は、明細書の発明の詳細な説明中の従前のカッター手段であるカッターロールとの対比に関する記載及び実施例のカッター手段に関する記載に照らすと、接触部分が面による接触状態になっているという趣旨ではなく、切刃を構成する切刃片がシール素片に対応して面的な広がりを有し、そうした広がりをもってシール素片に接触するという趣旨と解される。そして、別紙イ号図面の説明書及びイ号図面の記載によれば、イ号装置は、これらの構成を全て有すると認められる。したがって、被告が各告訴の時点でイ号装置が本件発明の技術的範囲に属すると判断したことは、技術的範囲解釈にあたり本件発明が全部公知であったことを考慮しなかった点を除けば、通常の解釈態度であり特に問題があるとは認められない。

(3) 昭和60年4月末ころ、原告代表者は、本件特許権の実施許諾契約を結ぶ方向で、被告の代理人と交渉をした事実がある。

(4) 特許された発明が、特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明と同一であるか否かは、当業者であっても必ずしも容易に判断し得るものではなく、本件発明の構成が全て甲一公報に開示されている旨の審決や審決取消訴訟における東京高等裁判所の判決も、甲一公報の「発明の詳細な説明」中の記述や図面を総合的に判断したうえで、各構成が甲一公報に記載されていると判断するものであって、被告が、各告訴の時点で、本件特許が必ず、或いは極めて高い確率で無効になると認識できたはずであるとまでは認め難い。

(四)  (結論)

右(三)掲記の諸事情を考慮すると、前記(二)の事実から、被告が、各控訴をした時点で、本件特許に無効事由があって原告の行為が犯罪を構成しないことを知っていたと推認することができないことは勿論、原告の行為が社会通念上犯罪に該当すると疑うに足りる相当な理由・根拠すらないのにあえて告訴した場合に当たるともいえない。その他、告訴制度の趣旨目的に照らして相当性を欠く場合に該当すると認めるに足りる証拠もなく、結局、各告訴に違法性があるとは認め難いから、各告訴が原告に対する不法行為を構成するということはできない。

4. (c)の無効審判事件における抗争行為が不法行為を構成するか

前項(三)(4)認定の事情に照らすと、特許無効審判請求事件において、被告が原告主張の無効事由を争ったとしても、その行為が原告に対する不法行為を構成するとは認め難い。

5. (d)、(e)及び(f)の訴訟行為が不法行為を構成するか

(一)  法的紛争の当事者が当該紛争の終局的解決を裁判所に求めて訴えを提起し、その訴訟を維持し又は上訴することは原則として適法な行為であるから、民事訴訟を維持し又は判決に対して上訴することが相手方に対する違法な行為といえるのは、その訴訟において、訴訟を維持又は上訴した者が主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴訟を維持し又は上訴したなど、訴訟の維持又は上訴が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる場合に限られると解するのが相当である。

また、特許無効審判請求事件において特許を無効とする旨の審決を受けた被請求人が、請求人を被告として審決取消の訴えを提起し、又は上告することも、同様に原則として適法な行為であるから、それらが相手方に対する違法な行為といえるのは、その訴訟において、訴えを提起し又は上告した者が主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起し又は上告したなど、訴えの提起又は上告が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる場合に限られると解するのが相当である。そこで、その観点から、以下検討する。

(二)  (d)のうち無効審決取消請求訴訟を提起した点について

被告(侵害訴訟原告)が東京地方裁判所民事第29部昭和62年10月28日の第8回口頭弁論期日に陳述した昭和61年8月25日付準備書面には、本件発明の構成A「印刷材料を伸張状態で連続的に同一進行方向に送る手段」に関して、本件発明の送り手段は、輪転印刷手段部からカッター手段部を通過するまでの間印刷材料の伸張状態を保持するものであるのに対して、甲一公報では、送りローラ間で伸張状態にあることを記載しているにすぎない、構成B「該印刷材料にシール、ラベル等のシール素片を連続的に所定間隔で印刷をする輪転印刷手段」に関して、甲一公報には輪転印刷手段は開示されていない等と、本件発明は甲一公報により全部公知とは言えない旨の見解が記載されている。これらの見解は、無効審決においても審決取消訴訟判決においても排斥されており、事実的根拠を欠くものと認められるが、右準備書面は被告(侵害訴訟原告)代理人であった寺島弁護士が輔佐人の平井弁理士の意見を踏まえて作成したものと推認される。そして、無効審決取消請求訴訟において被告がした、本件発明の各構成が甲一公報に開示されていない旨の主張は、右準備書面記載の見解を信頼し、それに準拠してなされたものと認められる。この事実に、通常の当業者であれば容易に審決の認定判断を争う余地は無いと判断しうるほど明白に本件発明の各構成が甲一公報に開示されているとまでは断定し難いことを併せ考慮すると、被告が無効審決取消請求訴訟を提起したことが、主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起した場合、又はその他その訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たるとは認め難い。

(三)  (d)のうち無効審決取消請求事件判決に対し上告し、更に同事件判決に対し再審の訴えを申し立てた点について

右無効審決取消請求事件判決に対して上告した点については、同訴訟で被告が主張した上告理由は、特許法70条違反をいう点は、原判決にそのような違法がないことは明らかであり、その余の点は原判決の事実認定を非難するものにすぎず、上告理由とはなりえないものであるから、被告の主張した上告理由は法律的根拠を欠くものであるうえ、通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて上告したものであり、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる。しかし、同事件については、相手方である原告が、弁護士に訴訟追行を委任し、或いは訴訟費用を出損する等、原告に経済的、精神的損害が生じたことを認めるに足りる証拠がない。

また、同事件判決に対し再審の訴えを申し立てた点についても、同事件における被告の主張は、何ら再審事由のあることを主張するものではなく、かつ通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて再審の訴えを申し立てたものであり、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるが、同事件についても、相手方である原告に損害が生じたことを認めるに足りる証拠がない。

(四)  (e)の侵害訴訟を維持した点について

被告は、専門家により作成された前記(二)の準備書面記載の見解を信頼して侵害訴訟を維持していたものと推認され、このことに、通常の当業者であれば容易に無効審決の認定判断を争う余地は無いと判断しうるほど明白に本件発明の各構成が甲一公報に開示されているとまでは断定し難いこと及び前記3(三)認定の諸事情を併せ考慮すると、結局、無効審決取消請求訴訟の敗訴判決の言渡しを受け、その内容を検討するのに合理的な期間が経過するまでは、被告が、主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴訟を維持した場合や、その他訴訟の維持が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たるとまでは認め難い。

被告が、無効審決取消請求事件判決に対し上告して主張した上告理由が、法律的根拠を欠くものであるうえ、通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて上告した場合に当たることは前示のとおりである。そうすると、被告が、審決取消訴訟の判決の言渡し及び送達を受けた後、その内容を検討するのに合理的な期間を経過した日と認められる平成1年10月1日以降も、侵害訴訟を維持したことは、通常人であれば右上告も棄却されて無効審決が確定し本件特許権が初めから存在しなかったものとみなされるに至り、結局、被告の主張した権利が事実的、法律的根拠を欠くことになることを知り得たといえるのにあえて訴訟を維持したものであると認められる。しかしながら、侵害訴訟の審理が審決確定に至るまで中止されていたことは前示のとおりであり、その間、侵害訴訟の継続により相手方である原告に経済的、精神的損害が生じたことを認めるに足りる証拠はない。

無効審決が確定した平成2年4月17日以降は、本件特許権が初めから存在しなかったものとみなされるに至ったから、被告が主張の根拠とした本件特許権が事実的、法律的根拠を欠くことが明らかである。そして、上告棄却判決正本の送達後は勿論、その送達前についても、前記のとおり通常人であればその主張した権利が事実的、法律的根拠を欠くことになることを知り得たというべきである。しかるに、被告は、同日以降も侵害訴訟を維持し、その結果、原告に対し、村林弁護士への訴訟追行の委任を継続することを余儀なくし、経済的に不当な負担を強いたことは明らかであるから、その行為は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠き、原告に対する違法な行為であると認められる。

(五)  (f)の右事件判決に対し控訴、上告した点について

右控訴をしたことは、無効審決が確定して本件特許が初めから存在しなかったものとみなされるに至ったにもかかわらず、存在しない特許権に基づいて製造、販売等の差止め、廃棄及び損害賠償を求め、何ら根拠無く「本件特許権は復原したものである。」と主張するものであり、被告が主張した権利が事実的、法律的根拠を欠き、かつそのことを知り得たといえるのにあえて控訴し、原告に対し、弁護士に訴訟追行を委任することを余儀なくし、経済的に不当な負担を強いたものであるから、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠き、原告に対する違法な行為であると認められる。

右上告をしたことも、その上告理由は、上告適法の理由とはならないもので、法律的根拠を欠くものであり、通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて上告した場合にあたり、それによって、原告に対し、弁護士に訴訟追行を委任することを余儀なくし、経済的に不当な負担を強いたものであるから、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠き、原告に対する違法な行為であると認められる。

6. 被告の主張について

(一)  被告は、原告及び原告代理人らが、被告が法律を熟知せず資力も乏しいことに乗じて、訴訟戦術等で被告に本件特許権に基づく権利行使を断念させかつ本件特許権を葬り去るために謀略を仕組み、被告が依頼した弁護士や弁理士、告訴事件を担当した警察官ら多数の人々と謀議して、種々の違法行為をしており、結局、本件訴訟は、原告と寺島弁護士、伊藤弁護士及び平井弁理士が、訴訟戦術等で被告に権利行使を断念させる為の手段の1つとして共謀してなした謀略であるから、本件訴えは却下されるべきであり、またかかる事情のもとでは、損害賠償を請求するのは正義にも反し違法である旨主張するが、右被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  被告は、本件無効審判に「特許法第70条を除外無視して本件発明特許の請求の範囲に記載されない事項を構成として付加、更に、構成の認定を誤り、更に、構成を除外した」違法があり、右審決の「違法既に成立確定して上級裁判所併せて管轄されている事実、依って本件特許権復原したのである」と主張するが、右被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  被告は、原告が書証の成立を認めたこと等を理由として、「三起機械(株)等の違法成立、更に審決も違法成立、即ち勝田の主張成立したのである。従って、三項(すなわち、本件損害賠償請求)は虚偽虚構であったのである、従って、三項は消滅したのである」と主張するが、書証成立に関する認否とその書証の証明力とは関係がなく、その他、被告主張の効果を認めるべき証拠や法律上の根拠も見出し難い。

二、争点2(原告の損害額)について

1. 平成2年4月17日以降侵害訴訟を維持した不法行為による損害

原告は、大阪弁護士会所属の村林弁護士に右事件の訴訟行為の代理を委任し、相当額の弁護士費用を支払う旨を約定した。原告は、平成2年4月17日以降も右委任を継続し、同事件について、平成2年6月22日東京地方裁判所民事第29部法廷において開催された口頭弁論期日に、同弁護士が東京に出張して出頭し、口頭弁論した。この事実と、同事件の請求内容、事案の内容、訴訟の経過、同事件判決の内容等一切の事情を勘案すれば、被告の右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は、20万円と認めるのが相当である。

2. 侵害訴訟判決に対し控訴、上告した不法行為による損害

原告は、各事件の訴訟行為の代理を同弁護士他9名の弁護士に委任し、相当額の弁護士費用を支払う旨を約定した。この事実と、各事件の請求内容、事案の内容、訴訟の経過、各事件判決の内容等一切の事情を勘案すれば、被告の右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は、控訴事件につき20万円、上告事件につき10万円と認めるのが相当である。

3. 従って、原告の請求は、右損害金50万円と右1の損害金に対する特許無効審決取消請求事件上告棄却判決言渡日である平成2年4月17日から、右2の損害金20万円に対する侵害訴訟第1審判決に対する控訴日である平成2年8月4日から、同10万円に対する同控訴審判決に対し遅くともその日に上告したと認められる日である同年12月31日から各支払済まで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(庵前重和 長井浩一 辻川靖夫)

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